能満院から本堂へ 長谷寺② [お寺]
本堂までの石段を覆う屋根が続く登廊の周辺の紅葉を楽しんだ後、本堂に行く前に東側にある能満院にまずは立ち寄りました。 こちらは日を限ってお詣りすると願いが叶うという日限地蔵とお不動様がお祀りされています。お堂の前は長谷寺の舞台を小さくしたような造りできれいな紅葉が目を引きました。そのあと、紅葉に包まれたような本堂へと向かいましたが、室生寺と違って長谷寺は上に進むにつれ紅葉が多くなり、色鮮やかさを増します。本堂では、恒例となっている床に映る紅葉や舞台から見える色とりどりの風景を撮影したくなります。毎年撮影している風景ですがが、きれいな紅葉は、見る度に新鮮に感じます(笑)。
明日は、本堂からの風景を中心にお届けしますのでよろしくです(笑)。
明日は、本堂からの風景を中心にお届けしますのでよろしくです(笑)。
地元の秋 長谷寺① [お寺]
何もかもが鮮やかに 室生寺最終回 [お寺]
上るほどに静けさを増し 室生寺③ [お寺]
燃ゆる秋 室生寺② [お寺]
太鼓橋で 室生寺① [お寺]
2014年の紅葉シリーズ第二弾は、室生寺です。
室生寺と参道を隔てる川には、真っ赤な太鼓橋が架かっています。誰もがこの橋の向こう側にある室生寺の紅葉に目を奪われ「わーっ、きれい」と声を発します。それだけに立ち止まる人も多く、無人の橋を撮るにはじっと人の波が途切れるまで待たなければなりません。最悪なのは観光バスの団体さんが到着したときです(涙)。今回は、平日の午前中だったこともあり、比較的早く撮ることができました(笑)。この日はお天気も良く川に映る橋や紅葉が青い空にとても映えていました。写真は、行きと帰りの両方で撮ったものですので、光の状態や影の位置、朝露で濡れた橋と乾いた橋などが微妙な違いがあります。黙っていてもよかったかな(笑)。
室生寺と参道を隔てる川には、真っ赤な太鼓橋が架かっています。誰もがこの橋の向こう側にある室生寺の紅葉に目を奪われ「わーっ、きれい」と声を発します。それだけに立ち止まる人も多く、無人の橋を撮るにはじっと人の波が途切れるまで待たなければなりません。最悪なのは観光バスの団体さんが到着したときです(涙)。今回は、平日の午前中だったこともあり、比較的早く撮ることができました(笑)。この日はお天気も良く川に映る橋や紅葉が青い空にとても映えていました。写真は、行きと帰りの両方で撮ったものですので、光の状態や影の位置、朝露で濡れた橋と乾いた橋などが微妙な違いがあります。黙っていてもよかったかな(笑)。
心静かに秋の境内 銀閣寺最終回 [お寺]
銀閣を見下ろして 銀閣寺② [お寺]
わび・さびの世界 銀閣寺① [お寺]
二条城の次は、銀閣寺を目指しました。室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築と庭園を有する銀閣寺は、室町幕府8代将軍足利義政が鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して造営した楼閣建築です。金閣寺のような派手さはない分、日本のわび・さびの世界を強く感じます。
東求堂と呼ばれるお堂の四畳半の一室で義政は、将軍としての主導権を奪われ側近に政治を委ね茶の湯など文化人としての暮らしを送っていたと言われます。 その一室には書院を設け
障子越しに見える庭の季節の移り変わりを感じながら隠匿生活を送っていたと言われます。
書院造りや茶の湯など文化に義政が強い影響を与えたようです。 そんな銀閣寺、とっても渋いわび・さびの世界が広がります(笑)。
東求堂と呼ばれるお堂の四畳半の一室で義政は、将軍としての主導権を奪われ側近に政治を委ね茶の湯など文化人としての暮らしを送っていたと言われます。 その一室には書院を設け
障子越しに見える庭の季節の移り変わりを感じながら隠匿生活を送っていたと言われます。
書院造りや茶の湯など文化に義政が強い影響を与えたようです。 そんな銀閣寺、とっても渋いわび・さびの世界が広がります(笑)。
古都に咲くコスモス 般若寺② [お寺]
般若寺のある奈良坂(京街道)は、古代より重要な要所であり、東大寺の大仏殿などを見下ろすことができ、昔の人はこの坂を上りながら奈良の都に別れを告げたと言います。
般若寺の創建の時期や事情などは正確なところは不明のようですが、境内地より古代瓦が多数出土し、奈良時代にはここに大きな寺院があったことは間違いないようです。
鎌倉時代の僧、叡尊とその弟子忍性によって貧者や病人を救う大きな菩薩供養の施業が何度もおこなわれ本尊や伽藍の復興もおこなわれました。般若寺近くには北山十八間戸(国の史跡)というハンセン病などの重篤な病を持つ人のための施設があり、叡尊、忍性の活躍で多くの人が救われたようです。そんな歴史を持つお寺も明治の廃仏毀釈以降は住職もなく廃寺同然の状態だったようです。
戦後、少しずつお寺の復興に手が付けられ今では、コスモスや水仙の咲くお寺として多くの観光客が訪れています。
紆余曲折があったお寺だけに、京都の名園を持つようなお寺とは違い少々雑然とした感はありますが、境内にある多くの石塔や石仏がやさしくそれがかえって素朴な味わいとなっています。鎌倉時代の楼門は国宝に指定されているほか十三重石塔は日本の代表的な石塔として重文に指定されています。
般若寺の創建の時期や事情などは正確なところは不明のようですが、境内地より古代瓦が多数出土し、奈良時代にはここに大きな寺院があったことは間違いないようです。
鎌倉時代の僧、叡尊とその弟子忍性によって貧者や病人を救う大きな菩薩供養の施業が何度もおこなわれ本尊や伽藍の復興もおこなわれました。般若寺近くには北山十八間戸(国の史跡)というハンセン病などの重篤な病を持つ人のための施設があり、叡尊、忍性の活躍で多くの人が救われたようです。そんな歴史を持つお寺も明治の廃仏毀釈以降は住職もなく廃寺同然の状態だったようです。
戦後、少しずつお寺の復興に手が付けられ今では、コスモスや水仙の咲くお寺として多くの観光客が訪れています。
紆余曲折があったお寺だけに、京都の名園を持つようなお寺とは違い少々雑然とした感はありますが、境内にある多くの石塔や石仏がやさしくそれがかえって素朴な味わいとなっています。鎌倉時代の楼門は国宝に指定されているほか十三重石塔は日本の代表的な石塔として重文に指定されています。