奈良のコスモス寺 般若寺① [お寺]
淡路島旅行ではがんばって早起きをして朝日の撮影をしたり、帰宅してからも自宅に持ち帰った仕事をしたりでちょっと疲れています。おまけに明日は京都への出張があり気が少々重いです(涙)。そんな訳で今日は、niceのみでお許し願います。
台風18号が近畿をかすめそうだった10月11日、土曜日、花が被害に遭う前にと県内のコスモスを急いで撮り歩きました。そんな中のひとつ、奈良市の般若寺です。コスモスの寺として有名でこの日もたくさんの人が訪れていました。今年の県内のコスモスはどこか元気がありません。 般若寺でも花の数は少なくないものの例年のような鮮やかさがないように感じました。
花の背丈も人の背丈ほどの高さがあり、境内に数多くある石仏が隠れてしまって頭に思い描いていたショットが撮れませんでした。 それでも折角のコスモス寺なのでそんなに広くない境内を何回も行ったり来たりしました(笑)。
台風18号が近畿をかすめそうだった10月11日、土曜日、花が被害に遭う前にと県内のコスモスを急いで撮り歩きました。そんな中のひとつ、奈良市の般若寺です。コスモスの寺として有名でこの日もたくさんの人が訪れていました。今年の県内のコスモスはどこか元気がありません。 般若寺でも花の数は少なくないものの例年のような鮮やかさがないように感じました。
花の背丈も人の背丈ほどの高さがあり、境内に数多くある石仏が隠れてしまって頭に思い描いていたショットが撮れませんでした。 それでも折角のコスモス寺なのでそんなに広くない境内を何回も行ったり来たりしました(笑)。
知恵の仏様、安倍文殊院 [お寺]
コスモス迷路のある安倍文殊院は日本三文殊のひとつとして有名なお寺です。大化の改新の時の左大臣、安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が安倍一族の氏寺として建立されたのが始まりとされています。獅子に乗った高さ7 mのご本尊、運慶作の文殊菩薩は日本最大の大きさで国宝に指定されています。そのほかにも快慶の銘が彫られた善財童子立像も有名です。学問や知恵を授ける仏様として春の受験シーズン前には訪れる人が絶えません。平安時代の陰陽師、安倍晴明の出生した寺であり晴明堂に祀られています。安倍一族の末裔かどうかは知りませんが、7枚目の安倍仲麻呂の望郷の詩を刻んだ石碑の左隣の灯籠には内閣総理大臣安倍晋三の銘が刻まれています。次に訪れるのは桜の季節になりそうです(笑)。
明日17日は残業でほんのちょっぴり遅くなりそうです。
明日17日は残業でほんのちょっぴり遅くなりそうです。
二月堂を後に [お寺]
またもや空振り二月堂 [お寺]
夕日を楽しみに二月堂まで上った私ですが、夕日を待ちきれずにそれほど広くないお堂をウロウロとしています。お水取りで有名な二月堂ですが、まだお水取りには一度も来たことがありません。こちらのご本尊は大観音、小観音とよばれる二体の観音様ですが、絶対秘仏で何人も見ることを許されません。 遠くに見える東大寺大仏殿や生駒の山々が奈良らしい佇まいを見せていましたが、肝心の夕日は・・・西の空を厚い雲が覆い、夏に続き今回も空振りに終わりました(涙)。
昨夜は近所に住む、部署は違いますが同じ職場に勤めるA君が亡くなり、お通夜に出掛けました。子ども時代を知っている14才年下のA君の死に接し、何ともブログを更新する気にはなれませんでした。彼の人柄をしのぶようにたくさんの人が別れを惜しみに来ていました。
昨夜は近所に住む、部署は違いますが同じ職場に勤めるA君が亡くなり、お通夜に出掛けました。子ども時代を知っている14才年下のA君の死に接し、何ともブログを更新する気にはなれませんでした。彼の人柄をしのぶようにたくさんの人が別れを惜しみに来ていました。
夕陽を求めて二月堂 [お寺]
秋の古寺 [お寺]
秋の初めの芙蓉の花 橘寺② [お寺]
青空と芙蓉 [お寺]
本薬師寺跡に咲く [お寺]
私用が続き三日間ブログをお休みしましたが、本日からまた再開です(笑)。
ホテイアオイの花が美しい本薬師寺跡ですが、このお寺は、現在奈良市の西の京にある薬師寺(やくしじ)の前身にあたる寺です。天武(てんむ)天皇が後の持統(じとう)天皇である皇后の病気平癒のため祈願して、天武9年(680年)に薬師如来を本尊とする寺の建立に着手。完成しないうちに天武天皇が崩御したので、持統天皇がその遺志を継いで完成させました。
当時は、金堂や東西に二つの塔がありました。平城遷都に伴って寺は伽藍ともども西の京へ移築されたと言われていましたが、別々に造られたという説が有力です。それ以来、この寺は本薬師寺(もとやくしじ)と呼ばれるようになりました。
いま、寺には小堂が建っているばかりですが、前庭にあたる跡地には金堂の礎石や東西両塔の上壇、塔の心礎などが残されています。現在、その背景には畝傍山(うねびやま)が望めますがその光景はいかにも天皇が発願した官寺跡にふさわしいものです。(橿原市のHPより抜粋)
ホテイアオイの花が美しい本薬師寺跡ですが、このお寺は、現在奈良市の西の京にある薬師寺(やくしじ)の前身にあたる寺です。天武(てんむ)天皇が後の持統(じとう)天皇である皇后の病気平癒のため祈願して、天武9年(680年)に薬師如来を本尊とする寺の建立に着手。完成しないうちに天武天皇が崩御したので、持統天皇がその遺志を継いで完成させました。
当時は、金堂や東西に二つの塔がありました。平城遷都に伴って寺は伽藍ともども西の京へ移築されたと言われていましたが、別々に造られたという説が有力です。それ以来、この寺は本薬師寺(もとやくしじ)と呼ばれるようになりました。
いま、寺には小堂が建っているばかりですが、前庭にあたる跡地には金堂の礎石や東西両塔の上壇、塔の心礎などが残されています。現在、その背景には畝傍山(うねびやま)が望めますがその光景はいかにも天皇が発願した官寺跡にふさわしいものです。(橿原市のHPより抜粋)