おふささんの観音さま [お寺]
おふさ観音の由来です。
現在おふさ観音が建っているこのあたりは鯉ヶ淵という大きな池でした。慶安3年(1650)4月、ある日の早朝のこと。この地で暮らす「おふさ」という娘さんが、鯉ヶ淵のそばを歩いていると、白い亀の背中に乗った観音様が、目の前に現れたのです。おふささんは、池のそばに小さなお堂を建て、そこに観音様をおまつりすることにしました。
その観音様は、色々なお願い事をかなえてくださるとして、近くの村人たちに厚く信仰され、大切にまつられました。やがて誰からともなく「おふさ観音」と呼ばれるようになったといいます。 時の権力者や特別な地位にある人が断てた寺ではなく市井の人の手によって建てられたお寺らしく今でも庶民のお寺として親しまれています(笑)。 この日は近くの奈良芸術短大の生徒らによる現代アートも展示されていました。
現在おふさ観音が建っているこのあたりは鯉ヶ淵という大きな池でした。慶安3年(1650)4月、ある日の早朝のこと。この地で暮らす「おふさ」という娘さんが、鯉ヶ淵のそばを歩いていると、白い亀の背中に乗った観音様が、目の前に現れたのです。おふささんは、池のそばに小さなお堂を建て、そこに観音様をおまつりすることにしました。
その観音様は、色々なお願い事をかなえてくださるとして、近くの村人たちに厚く信仰され、大切にまつられました。やがて誰からともなく「おふさ観音」と呼ばれるようになったといいます。 時の権力者や特別な地位にある人が断てた寺ではなく市井の人の手によって建てられたお寺らしく今でも庶民のお寺として親しまれています(笑)。 この日は近くの奈良芸術短大の生徒らによる現代アートも展示されていました。
色とりどりに花観音 おふさ観音② [お寺]
大和のバラ寺 おふさ観音① [お寺]
長岳寺、旧地蔵院 [お寺]
本堂を独り占め 長岳寺③ [お寺]
ひと通り境内の庭を散策した後は、本堂に向かいます。 山の辺の道に残る長岳寺は天長元年(824)淳和天皇の勅願により弘法大師が大和神社の神宮寺として創建された古刹であり、盛時には塔中四十八ヶ坊、衆徒三百余名を数えたそうであります。
本堂への階段をあがると涼しい風が吹き抜け気持ちよかったです。なにげなく上を見上げると血天井の伝説と書かれた案内板がありました。何度も訪れている長岳寺ですが、初めて気づきました。
戦国時代、長岳寺後方にある竜王山に築かれた大和の豪族、十市氏の城が松永弾正に攻められ長岳寺境内でも戦闘になり、切られた十市方の武将の血だらけの足跡が縁側に残ったそうです。その縁側の板を天井に張り替えたとありました。
その縁側から本堂をのぞくと重要文化財の薬師三尊が薄明りに照らされていました。こちらは撮影禁止の看板が見当たらないのでいつも撮影させていただいています。 ご本尊に心の中で「撮らせていただきます。」と断りを入れてから撮影しました(笑)。 本堂には私ひとり、思う存分撮らせていただこうと思っていましたが、誰もいない本堂での撮影は逆になんだか落ち着かず、早々に退散しました(汗)。
本堂への階段をあがると涼しい風が吹き抜け気持ちよかったです。なにげなく上を見上げると血天井の伝説と書かれた案内板がありました。何度も訪れている長岳寺ですが、初めて気づきました。
戦国時代、長岳寺後方にある竜王山に築かれた大和の豪族、十市氏の城が松永弾正に攻められ長岳寺境内でも戦闘になり、切られた十市方の武将の血だらけの足跡が縁側に残ったそうです。その縁側の板を天井に張り替えたとありました。
その縁側から本堂をのぞくと重要文化財の薬師三尊が薄明りに照らされていました。こちらは撮影禁止の看板が見当たらないのでいつも撮影させていただいています。 ご本尊に心の中で「撮らせていただきます。」と断りを入れてから撮影しました(笑)。 本堂には私ひとり、思う存分撮らせていただこうと思っていましたが、誰もいない本堂での撮影は逆になんだか落ち着かず、早々に退散しました(汗)。