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地福寺から流れ地蔵 出雲探訪記② [お寺]

 地域史フィールドワーク出雲編の続きです。 出雲は近くにある地域ですが、お話を聞きながら歩くことで色んな発見がありました。
 
《地福寺と地蔵石仏》 
 地福寺は、融通念仏宗のお寺でしたが、今は村の会所として使われています。境内の石仏群の中に室町時代の地蔵石仏があり、病気平癒を祈願した人々が石仏をなでるため面部と足先がひどく摩耗しています。また、隣にある墓地には、明治時代にこの地で亡くなった力士の墓がありました。相撲の始祖である野見宿彌の塚にお参りする力士が絶えなかったようです。


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《ダンノダイラの麓に広がる棚田》

 地福寺からさらに上に昇ると纏向山のタンノダイラへと続く道に行きつきます。祖先の地であるダンノダイラの麓には、棚田が広がり「棚田米」というとても味の良いお米が作られているそうです。
西には大和国中とよばれる平地や大和三山が眺望できるビューポイントになっていました。

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《流れ地蔵》
 文化8年6月15日夜半より降り出した雨が、局地的な大雨となり初瀬川が氾濫し民家や旅籠が流され旅人や土地の方、60~70人が溺死するという桜井地方の災害史の中でも最大級の水害が起こりました。この大洪水は「初瀬流れ」と呼ばれ後世に伝わっています。 出雲の上流、長谷寺門前の桜の馬場と呼ばれる場所にあったお地蔵様が、初瀬流れによって流され下流の出雲で腰から下が地中に埋まったまま見つかりました。当時の出雲村の人たちが立派なお堂を建てて祀ったことから出雲の流れ地蔵と呼ばれています。 明治時代に土地の区長さんが土に埋もれたままのお地蔵さんは不自由だろうと掘り返し丁重に祀られたそうですが、その後よくない事が続き、またもとのように埋め戻されたと案内の方にお聞きしました。腰から下の病に霊験あらたかだとのことです。

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 本日は、ちょっと忙しくniceのみでお許し願っています(汗)。

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