これからが本番 案山子まつり最終回 [風景]
私が出かけた日の案山子まつりは平日と言うこともあり人も少なく好きなように写真が撮れましたが、彼岸花が咲くようになれば車を駐車するにも長蛇の列ができるほどになります。
本番前と言うこともあり、すべての案山子が出そろってはいませんでした。この日も案山子申し込んでいる設置スペースでセッティングしている人の姿もありました。
すべての案山子が設置され彼岸花が咲くと明日香も秋本番を迎えます。その頃にお出かけの方は、電車とバスを利用するか平日の午前中をお勧めします(笑)。私ももう一度彼岸花の咲く頃に行ってみたいです。
本番前と言うこともあり、すべての案山子が出そろってはいませんでした。この日も案山子申し込んでいる設置スペースでセッティングしている人の姿もありました。
すべての案山子が設置され彼岸花が咲くと明日香も秋本番を迎えます。その頃にお出かけの方は、電車とバスを利用するか平日の午前中をお勧めします(笑)。私ももう一度彼岸花の咲く頃に行ってみたいです。
実りを前に 案山子まつり② [風景]
深まる秋 明日香稲渕かかしロード① [風景]
磐余道、山田廃寺辺り [風景]
桜井から山田を抜けて明日香まで続く古道、磐余(いわれ)道。 その途中の山田廃寺辺りは、長閑な古民家が残り、ほっとするような風景が残っています。 山田廃寺への入り口付近に建つ、石の道標に誘われるようにやってきました。 ちなみに題字は、井上 靖と刻まれていました。 山田寺は、蘇我倉山田石川麻呂の発願によって7世紀半ばに建てられたお寺で中門・塔(五重塔と推定)・金堂・講堂などを持つ大伽藍でしたが、平安時代ごろからしだいに衰退していきました。 明治の廃仏毀釈により廃寺となってしまいました。
開基である石川麻呂は、蘇我一族蘇我(馬子は祖父、蘇我蝦夷は伯父、蘇我入鹿は従兄弟)でありながら中大兄皇子に協力し乙巳の変後に右大臣に任ぜられた人で孫に持統天皇を輩出しています。
昭和50年の発掘調査では東回廊の建物が土中より発見され大きなニュースにもなりました。
開基である石川麻呂は、蘇我一族蘇我(馬子は祖父、蘇我蝦夷は伯父、蘇我入鹿は従兄弟)でありながら中大兄皇子に協力し乙巳の変後に右大臣に任ぜられた人で孫に持統天皇を輩出しています。
昭和50年の発掘調査では東回廊の建物が土中より発見され大きなニュースにもなりました。
鎌足誕生の地、大原の里 [風景]
明日香民俗資料館の近く明日香村小原(オオハラ)は、大化の改新の立役者、藤原鎌足の誕生の地と言われるところです。 今も素朴な雰囲気が残るところで小さな大原神社の裏手の斜面を下ると小さな川のほとりに鎌足産湯の井戸と呼ばれる井戸が残っています。大原神社の入り口には、「大織冠(たいしょっかん)誕生之旧跡」と彫られた立派な石碑が建っていました。またすぐ近くには、鎌足の母、大伴夫人の墓と呼ばれる森があります。東西約11m、南北約12m、高さ2.4mの円墳です。 ここから少し下ると飛鳥坐神社があり、東へ約4Km の山の山頂にある鎌足を祀る談山神社への表参道だと言われています。昔ながらの古民家が見える大好きな場所のひとつです(笑)。