文殊院本堂 [お寺]
境内にある色々なお堂を先に紹介しましたが、いよいよ本堂です。
鎌倉時代に南西300mの安倍山崇敬寺文殊院(安倍寺)から現在の地に移転後も大和十五大寺の一つとして栄え、寺運は隆盛でしたが、永禄六年(1563)二月松永弾正の為に兵火に会い一山ほとんど鳥有に帰する災に遭遇しました。現在の本堂は、寛文五年(1665)に再建されたものですが、人母屋造本瓦茸七間四面の建物で前に礼堂(能楽舞台)を従えています。 私は、本坊前からの幾重にも重なった屋根瓦の眺めが大好きでいつも写真に撮ってしまいます。 本堂隣の本坊もなかなか趣のある建物で入り口付近には昔の道標が残っていて、自分の足で旅をした時代の雰囲気をあれこれ想像してしまいます(笑)。
鎌倉時代に南西300mの安倍山崇敬寺文殊院(安倍寺)から現在の地に移転後も大和十五大寺の一つとして栄え、寺運は隆盛でしたが、永禄六年(1563)二月松永弾正の為に兵火に会い一山ほとんど鳥有に帰する災に遭遇しました。現在の本堂は、寛文五年(1665)に再建されたものですが、人母屋造本瓦茸七間四面の建物で前に礼堂(能楽舞台)を従えています。 私は、本坊前からの幾重にも重なった屋根瓦の眺めが大好きでいつも写真に撮ってしまいます。 本堂隣の本坊もなかなか趣のある建物で入り口付近には昔の道標が残っていて、自分の足で旅をした時代の雰囲気をあれこれ想像してしまいます(笑)。